、その珍らしい物というのは。」
「この世にまたとない珍らしい物です。実は、この滝壺は竜宮に通じております。わたくしを許して下さったら、竜宮の膳椀を持って来て差上げます。明朝までに、必ず持って来て差上げます。」
「うむ、きっとだね。約束を被ったら、承知しないぞ。」
「はい。明朝来て下さい。」
それで、馬方は河童をはなしてやり、河童は滝壺の底へもぐってゆきました。
翌朝、馬方が滝壺のふちにやって来ますと、河童は約束通り、滝壺から出て来て、竜宮の膳椀を一揃い、馬方にくれました。
その、竜宮の膳椀というのが、現在まで伝わってるのである。所有者は、滝の近村に住む星野某。拝観希望者は、若干の金を寄進することによって、いつでも見せて貰うことが出来る。まったく、稀代の珍品だそうである。
こうなると、話そのものまで、下卑てくるばかりでなく、嘘らしくなってくる。もともと、竜宮の話などは虚構なものには違いないが、現実的な要素が加わってくればくるほど嘘らしくなるのは、妙なものだ。文学についても同様なことが言える。虚構のなかに真実があり、実録のなかに嘘が多い。
*
海中には、竜宮ではないが、魚の墓場というものがある。起伏の多い深海で、片方に岩礁が峙ち、洞窟のようになり、底は一面の白砂、藻の類もない。ふしぎに静かで、暴風の時にも、そこだけはひっそりしている。つまり海底の岩陰である。そこに、病気の魚貝類が身を寄せて、静かに死んでゆく。だから、その白砂の上には、魚の骨や、貝殼や、宝石みたいな小石が、美しく洗い清められて、夥しく積っている。
この魚の墓場は、本当のことで、たいていの漁夫は知っている。
むかし、或る漁夫がありまして、魚の墓場を覗いてみますと、そこに、なんだか真黒く光っている物がありました。魚のような恰好の物で、真黒ですが、ふしぎにつやつやと光っているのです。
「見たことも聞いたこともない、珍らしい物だが、これは、宝物かも知れないぞ。」
そう思って、漁夫は魚の墓場にもぐりこみ、その真黒なものを抱きあげてきました。見れば見るほど、美しくつやつやと光っています。
漁夫はそれを家に持って帰り、棚の上に大切に置いておきました。
その日から、この漁夫の網には、嘗てないほどたくさんの魚がはいり、貧乏だったのが、金持ちになってきました。
そのことを伝え聞いて、黒い宝物を見に来る人もありました。手なえの人がそれをなでていますと、手が自由に動くようになって、病気がなおってしまいました。
だんだん評判になって、あちこちから、見に来る人がふえました。商売繁昌を祈りに来る人もあり、病気平癒を祈りに来る人もあり、金や品物を供えてゆきました。
漁夫はもう、少しも働かずに、宝物の番ばかりするようになりました。するうちに、漁夫はふと心配になりました。
「この宝物が、こんなに評判になってくると、これは危いぞ。悪者に盗まれるかも知れない。」
心配がひどくなってきまして、いろいろ考えた末、宝物をしばらく竜宮に預けておこうときめました。竜宮に預けておけば、悪者に盗まれる心配はありません。
漁夫は宝物を背負って、竜宮へ出かけました。沖合にぽつりと聳えてる岩山の下に、竜宮があると、言い伝えられていました。漁夫はその岩山に登り、真逆様に竜宮の方へ飛び込みました。
それきり、いつまでたっても、漁夫はもう帰って来ませんでした。
この、漁夫が宝物を背負って海に飛び込んだという岩山が、瀬戸内海にある。春と秋との彼岸中の夜、そこの深海に真黒な光りものが見えることが。あるそうだ。
この話は少し教訓的だが、いくらかとぼけてもいる。それだけにまた、解釈の仕方もいろいろあるわけだ。各自、身にひき比べて考えてみるがよかろう。然し、教訓的なものは、話自体としては面白くもなんともない。小説や物語についても同じことだ。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※「亀」と「龜」の混在は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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