をかみしめてしまったのである。その厚ぼったい肉体が、汗をかき、脂をうかせて、自分の熱気に喘いでるようだった。中江は何んだか息苦しくなるものを感じ、ふみにじられるような自分の心を感じて、彼女の言葉はうわの空できき流し、さっきの自分の気持に対して、ただわけもなく、嘘だ嘘だ、と胸のなかで叫んで、そんなら真実のものは何かと、ぼんやり考えるのだった。そして彼女の髪がぱらぱらと頬にさわると、我に返ったようにそっと身を引いて、窓の硝子からさしこむ明るい午後の光を、眼をしばたたきながら見上げるのだった。
「すこし、散歩なさらない、ねえ、先生……。」
 甘えたようなキミ子の言葉に、中江はいっぺんに引きずられて、ふらふらと立上ってしまった。紙入のなかを調べて、十円紙幣が一枚残っているのを確かめたのが、他人事のように感ぜられた。そして外に出ると、キミ子はもう籠から放れた小鳥のようで、フェルト草履の上に軽快に身を踊らし、その後から中江は、まるで盲人のように機械的についていった。

 中江の頭にはその印象がはっきりと残っていた。場所はよく分らないが、ごくゆるやかに湾曲してる街路で、そのカーブの内側の歩道を歩いて
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