かった。そこへ、昨日の朝、突然に役員等の強硬策が現われてきて、有力な職工たちが検束され、運動は頓坐した。松浦は手を引かざるを得なかった。思想の違いは仕方がなかった。彼等には……と松浦は職工たちのことを云ってよこした……彼等には我等の組合、我等の階級という意識はあるが、我等の職場という本当の意識はない。彼等には権力の意識はあるが、労働の意識はない。彼等に対抗して、自分たちは、職場と労働との意識を明確に把持しながら、ゆっくり進むより外に仕方がない。――その松浦の言葉を、キミ子は暗誦していて、朗読でもするような調子で云った。
中江はキミ子の話にぼんやり耳を貸しながら、頭の中で、次第に明かになってくる映像を眺めていた。柴田研三が訪れてきた理由も大体分ったし、あの声の美しい冷たい女の輪廓もほぼ分ったし、松浦や西田の相反する動向も見当がついた。だがそれは、どんより曇った空の地平線の一角が晴れて、その向うの雲の奇峯が見えてくるように、何かもやもやと立罩めている頭脳の一部が晴れて、その向うの内壁をスクリーンとして、或る映画がうつってくるようなものだった。而もその晴れた部分は小さく限られ、絶えず移動し
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