円っこい彼女の顔は、微笑をも忘れたかのように静かだったが、眼に冷い険を帯びていた。何か怒ってるのかなと、中江は初めて思ったのだが、実際は彼のことを心配してるのだと分ると、彼は今になって云うのだった。実は、ゆうべ少し飲みすぎて、宿酔の気味だし、それに、少々調べ物があるから、一週間ばかり学校を休むので、決して心配なことはないと。そして彼は自ら苦笑したのだが、彼女の眼の冷い険は拭うようにとれて、彼女は子供にでもするように諾いてみせるのだった。
 そうしたことから、中江は当面の問題より彼女の存在の方へ眼を外らし、何かと用を考えだしては、その用を彼女に頼むのだった。彼女のうちには、無言の母親とも云ってよい温良さがあった。然し実は、中江には当面の問題というものはなかった。うわべは整然としてるようであるが、その下に、無気力な投げやりがあって、その投げやりの状態はただ、未来に対する漠然とした期待でもちこたえられてるのみだった。そしてその未来が、いつまでも未来で決して現在にならなくて、投げやりの現在が変に行き詰ってきたこと、それだけのことだった。中江はその中に当面の問題を探し求めたが、探し求めるところに
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