しいところは見えなかった。
「然し今のうちなら、舵の取りようで、どちらにでも動きそうです。」
 どちらにでも……というのは、要するに、中江の伯父のものだったN製作所が、伯父の没落と共に人手に渡ったについて、二つの動きが職工たちの間に現れたのであって、一つは、そういう場合、旧社長から従業員に対して慰労手当が出るのが至当で、それを要求しようという運動であり、他の一つは、茲に若干の資金を集めて、それを従業員全体の負担とし、あくまで新社長に反対して、工場を従業員の手で経営しようという運動なのだった。製作所といっても、元来資本十数万円ほどの小さなものなので、若干の金が出来れば、新社長の手から奪い取れる筈だった。そして彼は職工長として旧社長の恩顧を受けてるし、従業員たちも旧社長の人格を徳としてるので、出来るならば後者の方法を取りたいのだが、新社長との交渉のために、果してどれだけの金があればよいのか、その辺の見当がつかずに困ってるというのである。
「そんなことは、僕には分りませんね。」と中江は答えるより外に仕方がなかった。
「左様でしょう、私にも分りませんから、困りました。」
 そうして柴田は、如何
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