じっとして居れないで、室の中を歩き出した。縁側に出てみた。卓子の前の椅子に腰を下した。窓から外を覗いてみた。そして漸く気分が和らいだ。然し、取り返しのつかないことをしたという惨めさが、深く私の心に残った。
 嫌な――嫌忌すべき日が続いた。絶えず冷笑的な眼で秀子から窺われてることを私は感じた。その眼は私の夢の中までも覗こうとしていた。私は数日前に千代子の夢を見たと思って眼覚めた時、自分が遺精してることを知った。その時はさほど気にしなかったが、今になって思い出すと、穴にでもはいりたい気がした。それでも私は、秀子の執拗な眼付から隠れて、やはり千代子の夢をみ続けた。夢をみて夜中にふと眼を覚すと、先ず秀子の方を顧みた。そういう懸念のために私の清らかな千代子の幻は、どんなに毒されたことであろう。私は秀子を本当に憎む気になった。然し千代子はもう故人なのだ! 私はどうすることも出来ない淵へ陥ってゆく自分を見た。恋人に別れる悲痛さはまだ堪えられる。亡き人に恋し初めたという悶えは、どうすることも出来なかった。
 或る夜、私はまた千代子の夢から覚めた。隣りの床に寝てる秀子の方を窺うと、彼女は眠っていた。私は
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