た。私は歩き続けた。彼女の耳の後に垂れたほつれ毛が、堅くなって震えるのが見えた。「お寝みったら!」と私は三度云った。「あなたお寝みなすったらいいでしょう、」と彼女は答え返した。私はなお室の中を歩き続けた。それからまた椅子に坐った。自分の心がまた彼女の心が、最も悪い状態にあるのを私は感じた。私はじっと彼女の姿を見つめてやった。反感が、殆んど完全と云ってもいいほどの敵意が、私の身内を震わした。その時私が飛び掛って彼女を殴りつけなかったのは、彼女が寝間着一枚の素足のままで石のように固くなってるからであった。
「勝手にするがいい!」
そう私は云いすてて、階下へ下りて行った。みさ[#「みさ」に傍点]子はすやすや眠っていた。私は堪らなくなって、着物のまま蒲団の中へもぐり込んで、夜着を頭から被った。頭が熱くなっていて、足先がぞくぞく冷たかった。傍の蒲団の中に寝ている秀子の姿を見出したのは、翌日眼を覚してからだった。
そして、私達は朝から口を利き出した。然しそれは、如何に冷かな用件のみの言葉だったろう! 二人の間に深い溝が掘られたことを、私は感じた。激しい喧嘩の末、私達は二三日言葉を交えないことが
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