気分を与えられるからであること、道子さんに対しては嘗て愛を感じたこともないし、これからも愛を感ずる恐れは決してないこと、第一文学なんかをやろうという女と恋することは、自分のような寧ろ家庭的な男には適しないこと、自分が長く苦しんでいるのも、自分のうちに家庭的な気分が濃いからだということ、そんなことを考えると道子さんにどんな迷惑を及ぼすか分らないこと、などを私は急き込んで説き立てた。
「どうだか、今に分ることですわ。」と彼女は答えた。
 私達は口を噤んだ。問題の中心にぶつかると、其処から先へは進めないで、未解決のまま止るの外はなかった。そうだ、「今に分ること」だったのだ。私はじっとしていた。彼女も私の卓子の横につかまりながら、身動きもしなかった。寝間着のまま素足で、眉根に皺を寄せ口をきっと結んで、眼を見据えていた。このままでいつまでもじっとしていたら、どんなことになるか分らない、と私は思った。夜が深く静まり返って、氷のような沈黙が落ちて来た。
「もうお寝み!」と私は云った。
 彼女は答えなかった。
 私は椅子から立ち上って、室の中を歩きだした。「お寝みよ!」と私はまた云った。彼女は黙ってい
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