を張ってるように思われた。私はおずおずと、寄せられてる玄関の戸を開き、それに自分で締りをした。家の者はみな寝ていた。私は子供の眼を覚すまいと抜足して、寝室へ忍び込み、冷たい蒲団の中にもぐり込んだ。秀子は大抵眠っていた。そしてごく稀には、薄日を開いて、而も底光りのする黒い眼で、私の方をじっと見た。彼女の口元には硬ばった微笑が湛えられていた。そしてその真白な歯並の奥から覗く糸切歯の金の光りは、私の心を魅してしまった。私は官能の奴隷となって、感覚の陶酔を彼女と自分とに与えた。而もそれは、平素の私と彼女との精神状態に対して、如何に不自然なものであったか! 翌朝になって私達は、互に白けきった気持ちで、眼を外らすことが多かった。斯くて私達はいつのまにか、真の夫婦関係から、愛し合う男女関係からは尚更、遠ざかっていった。
それも結局私には気楽だった。然し、自分の性慾を金の力によって滿すような機会を、而も自分の前に差出された機会をも、私は決して掴まなかった。少くとも妻がある間は! と私は自ら誓っていた。所が、それが却って悪かったのだ。何という不条理なことであろう!
私が外に出かけようとすると、何処へ
前へ
次へ
全79ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング