真剣に真面目に、何でも本当のことを答える。うち明けて云ってごらん。」
「私が云い出さなければ、どこまでも隠し通してみようというつもりなんでしょう。でも私にはよく分っています。いくらごまかそうったって、ごまかせるものですか。」
「だから何のことだか云ってごらんと云ってるじゃないか。自分から押しかけてきといて……。」
「図々しいと仰言るんですか。あなたの方がよっぽど図々しいじゃありませんか。」
そして、私達の会話はぐるぐる同じ所を廻るだけで、いつまでも中心に触れてゆかなかった。このままでは例の喧嘩に終るの外はないと思った。そして一挙にきり込んでいった。
「お前は、僕がお前を愛さなくなったとでも云うのか。」
「さあ、どうですか。」と彼女は空嘯いた調子で答えながら、口元に皮肉な皺を寄せた。先刻からの焦燥の念が俄に反感に燃え立ってくるのを私は覚えた。
「愛さなければどうするというんだ!」と私は怒鳴りつけてやった。
「私がどうしようとあなたに関係はありません。」と彼女は答えた。「勝手にその女と一緒におなりなさるがいいわ。」
私は呆気にとられた。茫然と彼女を見つめると、彼女は私の視線の下にじっと唇をかみしめていたが、倭に肩を震わして私の方へ向き直った。
「私はいつまでも厄介者にされていたくありません。出て行けと仰言るならいつでも出て行きます。云われなくったって私の方から出て行きます。」
私は黙っていた。
「その女と結婚なさるがいいわ。けれど私にだって意地があります。どんなことになろうと、その時になって文句を仰言らないように、断っておきますよ。」
私は自分の心が静に落付いてるのを感じた。笑いもしなければ、別に驚かれもしなかった。そして冷かに云った。
「お前は、僕が誰かに恋してるとでも思ってるのか。」
彼女は答えなかった。
「僕ははっきり云っておく、僕には他に恋人なんかありはしない。……然し、お前は一体誰のことを云ってるんだ?」
「あなたは、まだごまかそうとなさるんですか。御自分の心に尋ねてみなさるがいいわ。」と彼女は答えた。
穿鑿的な一種の興味が私のうちに湧いてきた。自分に覚えがないだけに、いやに頭が落付いていた。そして私は、知ってる女性の名前を一々挙げて尋ねた。彼女はそのどれにも、肯否の答えをしなかった。然し私が、「では夢の女なんだろう。」と嘲り気味の言葉を発すると、彼女は俄にいきり立った。そして「私に恋人があること」を、遠廻しに立証していった。私が始終出歩いてばかりいること、家に居ても様子に落付きがないこと、然し遊蕩を初めたのではないこと、なぜなら、酒気を帯びて帰ることも稀であるし、一晩も外泊して来たことがないから、そしてまた、女は子供を育てるのみが務めではないとよく云ってること、いやに何かを考え込んでばかり居ること、出かける時の慌しい様子のこと、みさ[#「みさ」に傍点]子に対して冷淡な素振りが多くなったこと、だから、「誰かに恋し初めてるに違いない。」という結論に達するのであった。
私は云った。
「ではお前は、僕とお前との愛について僕がどんなに苦しんでるか、それを少しも知らないのか。」
彼女は答えた。
「苦しんでは長谷川さんなんかの所へばかりいらっしゃるんでしょう。」
私はつと身を起した。長谷川の妹のことを、道子のことを、彼女は考えていたのだ。
「お前は道子さんのことを考えてるんだね!」と私は叫んだ。
「いいえ、道子さんとは限りません。」
「馬鹿なことを云うな!」私はそれを押っ被せて云った。そして、長谷川の家へ屡々行くのは、いつもいい意味の気分を与えられるからであること、道子さんに対しては嘗て愛を感じたこともないし、これからも愛を感ずる恐れは決してないこと、第一文学なんかをやろうという女と恋することは、自分のような寧ろ家庭的な男には適しないこと、自分が長く苦しんでいるのも、自分のうちに家庭的な気分が濃いからだということ、そんなことを考えると道子さんにどんな迷惑を及ぼすか分らないこと、などを私は急き込んで説き立てた。
「どうだか、今に分ることですわ。」と彼女は答えた。
私達は口を噤んだ。問題の中心にぶつかると、其処から先へは進めないで、未解決のまま止るの外はなかった。そうだ、「今に分ること」だったのだ。私はじっとしていた。彼女も私の卓子の横につかまりながら、身動きもしなかった。寝間着のまま素足で、眉根に皺を寄せ口をきっと結んで、眼を見据えていた。このままでいつまでもじっとしていたら、どんなことになるか分らない、と私は思った。夜が深く静まり返って、氷のような沈黙が落ちて来た。
「もうお寝み!」と私は云った。
彼女は答えなかった。
私は椅子から立ち上って、室の中を歩きだした。「お寝みよ!」と私はまた云った。彼女は黙ってい
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