輪をいじくった。――食事の前には必ず両手で襟をきっと合した。食事がすむと、一寸小首を傾げて、それからお茶を飲んだ。お茶を飲む間に、大抵は香の物を一切れ食った。――寝る時には、寝間着に着代えた後一寸坐る癖があった。朝は、眼が覚めても長く床の中にはいっていた。愈々起き上ると、少しの休みもなく而も気長に身仕舞をした。
 私はそれらのことを、一種の皮肉な眼で発見していった。すると彼女は、何の気もつかないらしく、例の糸切歯の金の光りで私の眼をくらまそうとした。然し私には、その魅力が別の意味で感じられて来た。その糸切歯こそ、彼女の我儘な利己的な一轍な残忍さを迎合的な小悧口さで蔽った性質、そのままの象徴だった。
 私はこういうことを覚えている。近所に金棒引きの奥さんが居て、種々の噂を方々へ流布して廻っていた。その奥さんが、秀子のことを、生意気で我儘で仇っぽくて而も田舎者らしく、何でも地方のお茶屋か宿屋かそういう家の娘に違いないと、噂をしてるということが、何処からともなく秀子の耳に伝わった。秀子は真赤になって怒り立て、いつかとっちめてやると云い張った。私は彼女の怒り方が余り激しいので、揶揄《からか》い気味に、「そういう風な所もお前のうちに在るよ、」と云ってみた。それがなおいけなかった。彼女は益々憤った。それで私は、あの奥さんの単なる噂に心から苛ら立つのは、自分を向うと同等の地位に引下げることで、教養ある者の取る態度ではないということを、諄々と説いてやった。然し彼女には、私の云う意味がよく分らないらしかった。いつまでも腹を立てていた。その奥さんと途中で逢っても、挨拶もしないらしかった。所が一ヶ月ばかり過ぎた後に、その奥さんと愉快げに談笑してる彼女を、私は見出した。一寸喫驚した。「どうして仲直りをしたんだい、」と尋ねてやった。すると彼女は答えた。「仲直りなんかするもんですか。でも可哀想だから調子を合してやってるんですわ。」そして彼女は影で、その奥さんのことを軽蔑的に悪口し続けた。私には彼女の心理がよく分らなかった。なぜなら、私が説いてきかした教養のある者の取る態度と、彼女の態度は結果に於て多少類似はしていたけれど、心の動き方は全く反対らしかったのである。――前年の年末に、秀子は、遠縁に当る家へと世話になった家へと二つの進物を整えた。一つは、二羽の鳩が古い汚い果物籠の中に押し込んであり、
前へ 次へ
全40ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング