が、彼は彼女がくれる切符を受け取りました。便所の室の手洗所のところで、何度か切符を貰いました。
その手洗所のところで、或る土曜日、明日彼女のアパートへ遊びに来てくれと彼は誘われました。郷里から鯛の浜焼というおいしいものが送って来たし、うまいウイスキーもあるから、御馳走するというのでした。彼はそこで長く立ち話をするのが嫌でしたから、曖昧な返事をして逃げだしました。そして翌日は彼女を訪れず、月曜日は会社を休みました。火曜日に、便所で彼女につかまると、病気だったと言い訳をしました。彼女はじっと彼の顔を見て、次の日曜日に一緒に郊外散歩をしないかと誘いました。彼はうっかり、専務にわるいからと洩らしました。とたんに、彼女は彼の肩を捉え、抱きかかえんばかりに顔をすりよせて、おばかさんね、とただ一言、彼の耳許に囁き、怒ったように立ち去りました。だが、彼女は怒ったのでもなさそうで、やはり時々、映画や芝居の切符をくれました。
それからは、彼女の眼付きが変ってきました。揶揄するような甘やかすような、そしてこちらでちょっと極り悪く思うような眼差しで、人中も構わず、彼女はじっと彼を眺めました。彼はその眼差し
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