愈々いけなくなる前、妻は一寸元気づいていたよ。それが、これなら大丈夫だと思っていると急にいけなくなった。眼に見えてじりじりと、深いところへ落ちこんでゆくようで、どうにも出来やしない。」
「…………」
 佐野は武田の顔を見つめた。
「そりゃあとても堪らない気持だ。」
「…………」
 その時、不思議なことが佐野に起った。或る力強い何とも云えない皮肉な快感から、彼はぼんやり微笑んでしまった。それから始末に困った。
 彼は立上った。
「大丈夫だ。来てみ給い。」
 病室の方へ歩いていった。武田はついて来た。
 電燈の覆いを取ると、ぱっと明るくなった。
「まあー、何をなさるの。」
「なに大丈夫だ。」
 真赤な顔だった。額は汗ばんで熱かった。呼吸は静かだった。心持ち凹んだ眼のあたりを、無意識にしかめていた。
「よし、僕がついててやる。何でもないさ。」
 佐野は枕頭に坐りこんだ。
「いけませんよ。大きな声をなすっちゃ……。」
 敏子は立上って、電燈の覆いをした。
「ほんとに、もう宜しいんですから、お寝みなすって下さい。」
「ええ。」
 武田は中腰にぼんやりしていた。
「みんな寝ておしまいよ。僕がついて
前へ 次へ
全34ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング