きなり敏子を抱き上げた。彼女は軽かった。それが満足なような不満なような、訳の分らない気持で、彼はふらふらと外に出歩いた。

 佐野は夜更けてから、タクシーで帰ってきた。電車通りの角で降りて、それから三町ばかりのところを歩いた。
 しいんと寝静まった薄暗い横丁だった。夜気が冷く頬に触れた。
 彼はそういう場合のいつもの通り、半夜の相手の女のことなんかはもう遠く忘れかけていた。そして平素よりも遙に、落付いた真面目な気持になっていた。しみじみと人生を考える、そういう心の状態だった。
 ――俺は一体何のために生きてるんだ。
 うそうそとそこいらを嗅ぎ廻ってる犬の側を、親しい気持で通りぬけて、ふと、ひどく淋しくなった。真裸で一人つっ立ってるような、肌寒い感じだった。
 門をはいって、締りをして、家にはいろうとすると彼はびっくりした。遅い折にはいつも引寄せてある玄関の戸が、一枚開け放したままだった。
 更に彼がびっくりしたことには座敷に電燈がついていて、それに黒い布の覆いがされて、ぼうっとした中に、敏子が端然と坐っていた、子供が真赤な顔で眠っていた。
「どうしたんだい。」
 玄関に出迎える筈なのを
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