そう……義務となっちゃあ……駄目かな。」
「あら、義務じゃありませんよ。自然の情愛なんですもの。」
「そうです。義務は悪かった。」
「そんなこと、どうだっていいじゃないか。つまらない……。」
「うん、どうだっていい。」
 冗談のような真剣のような、一寸掴みどころのないものが、武田の調子に現われていた。佐野と敏子とは、何となく武田の顔を見守った。
 敏子が席を外すと、佐野は武田の方へ近々と視線を寄せた。
「あれから……こないだと、気持が変ったようだね。」
「僕が……変りゃしないよ。」
 武田は口を尖らせて見返してきた。
「然し、あの時はひどく君は陰気だったが……。」
「あ、そりゃあ、僕自身だって、時々ひやりとすることがある。」
「冷りとする。」
「何だか変に物が……周囲の世界が、象徴的に神秘に見えてくることがあるんだ。そんな時、亡くなった妻の姿……一種のイメージだね……それが、そこだけぽかっと空虚になって、真空というほどになって、はっきり浮出してくる……。」
「例の……形体ある空虚か。」
「それで僕は、変に堪らない気持で外へ飛び出す。そしてむやみと……彷徨するんだ。犬みたいだね。何かしら
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