、敏子は坐ったまま、冷い一瞥で彼を迎えた。そしてそのままの眼付で、子供の方を指し示した。
「え、病気か。」
 水枕の上の頭が、かっとした、底力のある粘っこい熱さだった。それと変に不調和に、不気味なほどに、安らかな静かな息使いだった。そして昏々と眠っていた。小皺の多い唇が乾いていた。
 夕方まで元気だったのが、八時頃から、俄に燃えるように熱くなって、ぐったりしてしまった。三十九度三分の熱だった。医者が来た。神経性の発作的な熱かも知れないが、も少し経過を見なければよく分らない、そう云って、透明な水薬をくれた。一切乳を与えないで、渇く時にはその水薬をやるのだそうだった。――敏子は低い声で、棒切のような話方をした。
「どこに行ってらしたんです。武田さんまでが心配して待ってて下さるのに…。」
「え、武田が…。」
 佐野はどこに行ったとも答えなかった。着物を着換えに立上った。
 茶の間で、武田はぼんやり煙草を吹かしていた。
「君にまで心配をかけちゃって……。」
「なあに……。」
 話のつぎほがなかった。
「ひどいのかしら。」
 武田は敏子と同じようなことを云った。ひどく不機嫌そうだった。
 佐野はまた子供の方へやって行った。
「今日……。」出たらめに友人の名を挙げて、「……に逢ってすっかり話しこんじゃったものだから……。」
「分りそうなものじゃありませんか。」
「そんな……分るものか。」
「武田さんだって、変な気持がしたから来てみたと云っていらしたわ。」
「変な気持……。」
「虫が知らせるってこともあるでしょう。」
「そんなじゃないよ。父親の僕に虫が知らせないんだから、大丈夫だ。」
 子供の額はやはり熱かった。いつ覚めるとも分らない底深い眠りだった。
「氷で冷したら……。」
「余り冷しちゃいけませんって。」
 強固を通りこして冷酷とも云えるほどの敏子の様子だった。一心に子供を見張っていた。佐野は指一本差出す余地がないような気がした。
 いつまでも同じような時間だった。さめた酒の酔が、頭の奥に変にこびりついていた。
 佐野はまた武田の方へやっていった。
 武田の顔は憂欝な仮面になっていた。じっとして動かなかった。
「起きてても仕様がない。寝たらどうだい。泊っていってもいいんだろう。」
「うむ。……だが寝ても仕様がない。」
「もう二時近くだよ。」
「…………」
 露が霜にでもなりそうな、しいんとした夜だった。
「君は、どこへ行ってたんだい。」
 突然、電燈の光を受けた武田の顔が、薄黒く冴えてきた。
「どこにって……。」
「不都合だよ、こんな時に……。」
「然し……知らなかったんだから……。」
「知らなくっても、いいことじゃない。」
「そうかなあ。」
 佐野は腑に落ちない顔付をした。悪い……と云えば悪いようだけれど、さてその悪いという実感が少しも胸にこなかった。
「赤ん坊はいい。病気になってもちっとも苦しまないから。あれで、ひどく苦しんだら、君は堪らなくなる筈だ。」
「そんなに悪そうでもないよ。」
「悪くないように見えても、悪いように見えても、同じことじゃないか。病気は病気だよ。僕は、妻が死んでから後で、なぜもっとよく看病してやらなかったかと、それが切なかった。果して妻を愛してたかどうか、それさえも分らなくなってくる……。何もかも生きてるうちのことだ。」
 佐野はぎくりとした。
「え、医者が何か云ったのかい。」
「医者……。」
「危険だとか……何か……。」
「何も聞かないよ。」
「そうだろう。そんなに悪い筈はない。」
「誰でもそう思うものだよ。僕もそう思っていた。愈々いけなくなる前、妻は一寸元気づいていたよ。それが、これなら大丈夫だと思っていると急にいけなくなった。眼に見えてじりじりと、深いところへ落ちこんでゆくようで、どうにも出来やしない。」
「…………」
 佐野は武田の顔を見つめた。
「そりゃあとても堪らない気持だ。」
「…………」
 その時、不思議なことが佐野に起った。或る力強い何とも云えない皮肉な快感から、彼はぼんやり微笑んでしまった。それから始末に困った。
 彼は立上った。
「大丈夫だ。来てみ給い。」
 病室の方へ歩いていった。武田はついて来た。
 電燈の覆いを取ると、ぱっと明るくなった。
「まあー、何をなさるの。」
「なに大丈夫だ。」
 真赤な顔だった。額は汗ばんで熱かった。呼吸は静かだった。心持ち凹んだ眼のあたりを、無意識にしかめていた。
「よし、僕がついててやる。何でもないさ。」
 佐野は枕頭に坐りこんだ。
「いけませんよ。大きな声をなすっちゃ……。」
 敏子は立上って、電燈の覆いをした。
「ほんとに、もう宜しいんですから、お寝みなすって下さい。」
「ええ。」
 武田は中腰にぼんやりしていた。
「みんな寝ておしまいよ。僕がついて
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