苦労を訴えて、僕の肩にすがって涙ぐむ、そうした彼女を空想していた僕は、物足りなくて淋しい。彼女の手の細長い紅い爪をいじっていると、その指の根本のプラチナのなかに、小さなダイヤが涙の玉のように閃めく。母のダイヤは朝露のように光っていた。それをも持出してしまった。そして彼女には小さな真珠も買ってやれないでいる。淋しい。ばかに淋しい。彼女は僕に引寄せられるままに任せる。着物の裾が夕暮の影みたいな淡い紫を畳の上に流して、島田の鬢がうすく透いてみえる。僕の眼は小さなダイヤに刺戟[#「刺戟」は底本では「剌戟」]されて、いつのまにか涙ぐんでいる。ぬるく冷えた銚子の酒は涙の源泉となる。飲めば飲むほど涙が出る。今晩、これから二人でどこかへ行ってしまおう。そして明日一日遊ぶんだ。そして……明後日の早朝には、浅間の噴火口へ飛びこんでしまうんだ。お互に、つまらないじゃないか。出かけよう。今晩、これから出かけよう。約束だ……。小指を差出すと、彼女も小指を差出して元気よく打振る。が、晴れやかに笑っている。あたしいい気持に酔っちゃったのよ。もっと飲まして頂戴。そして僕の腕から、細そりした腺病質の上体をぬけ出して、肉
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