思議だという調子だ。退院してから、そんな挨拶に接したのは初めてだ。母は涙を流して喜んでくれた。友人や同僚たちは祝ってくれた。が全快したのを不思議がって僕の顔を眺めるのは、彼女一人きりだ。而もそれが如何にも純真で朗かだ。こいつめ、とぶん殴ってやりたいほど、僕は胸がすっきりした。そしてその時から、ほんとに強く心を囚えられてしまった。床の間の軸につがいの鴛鴦が泳いでいるのは俗だが、その下の方に、梅擬《うめもどき》かなにかの赤い実のなった小枝の根〆に、水仙の花が薄黄色に咲いている。その花が僕にはとても可愛く思えた。その方をじっと見てると、彼女はただ退屈ざましに云う。「まだお酒はいけないでしょう。」水仙の花を相手なら、酒は飲まない方がいいが、彼女となら飲んでやれという気になる。「なに構うものか。いけなかったら、君が僕の分も飲んじまえばいい。」とそんなことから、二人とも酔うようになる。だが、僕たちの関係は淡いものだった。彼女はなんのかのといって、なかなか床《とこ》をつけさせなかった。其後もほんの数えるほどしかない。絶対に浮気しない身分でもない彼女のそうした態度が、なお僕の心を惹く所以でもあった。
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