が》の料理でも食べに行きましょうか、とそんなことを僕は云う。母は眼をあげて、僕の顔を偸むように見る。そんなことをするより何か他の滋養分でも……とその言葉をそっくり裏づける淋しい眼付だ。それがふびんなので、僕はある時女中に旨をふくめて、大黒屋の野菜の煮物や、鳥常の雛鳥の上肉や、広島牡蠣の殼焼など、母の好きなものを調えさして食膳を賑わしてやった。母はびっくりしたようだったが、僕の冗談につりこまれて快活になり、僕と一緒に実にうまそうに食べた。いつもより多く食べた。年老いた母がうまそうに沢山食べるのを見ると、涙っぽい擽ったさが胸にしみる。が老人のそうした食慾も、必要以上の味覚の慾だ。若い僕が、市内の贅沢な料理屋のことを空想したとて、或は芸者に恋したとて、敢て不思議ではあるまい。ただ悲しい哉、二つの慾を同時に満すことが出来なかったので、僕は恋愛の方を主とした。
公平なところ、美人ではない。だが、味覚が個人によって異るように、美意識も個人によって異る。殊に恋愛の場合には、美意識は或る一局部に限られて、別な或る熱病みたいなものが大勢を支配する。試みに、恋人といわれる多くの女性を公平に観察してみ給え
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