。一般に支那人にとっては時間は金ではないが、これもその一つの現象であろう。
 だが、湯屋で時間を費すよりも、旧市公署の一隅に佇む方が楽しい。韓復渠によって建物は自爆されてるが、庭園は旧態のままで、その池の一つに珍珠泉というのがある。深い清澄な池の底から、メタン瓦斯の玉が幾つも、昼夜間断なく湧き上っている。旧名真珠泉で現名珍珠泉だが、全く真珠のさまざまな珍珠が水底から湧き上ってくるようで、いつまで眺めていても倦きない。真珠を砕いて之を呑めば美人になると、支那婦人の間には古くから伝えられている。
      *
 済南の大明湖ほど実用と風流とを兼ね具えてるものは少なかろう。この広い湖沼は、幾つもの私有地に分れていて、それぞれ蓮や蒲などの収益を相当にあげている。それらの私有地の間に、舟を通す水路が幾筋も開かれていて、或は狭く或は広くそして屈曲して、両側には蘆荻が生い茂っている。画舫に身を托してこの水路を進めば、俗塵は剥落して詩趣が湧く。
 一般に支那の都市にある湖水は、底浅く薄濁りであるが、それぞれに趣きは異る。絶勝とされる杭州の西湖は、煙雨の日に画舫を浮べるべきである。南京の玄武湖は、ボートに乗って城壁を眺めるによく、北京郊外万寿山の昆明湖は、モータボートを走らせるによく、北京市内の北海・中海・南海は、その周辺をそぞろ歩きするによいが、済南の大明湖は、実は画舫よりも和舟でも浮べ、その中に寝ころんで無念無想になるのに適する。
      *
 北京には数多くの記念的殿堂と公園とがあり、それらの主なものを、遊覧バスで大急ぎに見廻るのにも、一日を要するほどである。
 それらの主な記念的建築のうち、最も有名な万寿山も旧紫金城も、その風趣に於ては、さほど有名でない天壇に及ばない。天壇のうちでも殊にその圜丘は現代人の心をも打つ魅力を持っている。遠くから見れば、森の中に築かれた白大理石の段丘であり、三段にめぐらされた白色の欄干のみが目につく。ここは昔、毎年冬至の未明に、天子斎戒して昊天上帝を祭られた所で、その壇の円形は天円地方の義に則り、壇上の敷石や欄干や階段などは天数に応じて九の数が選ばれている。それらのことが、ただ圜丘のみで他に何の建造物もないこの壇上で、おのずから感ぜらるるほど、簡素な豪華さを具えてるのである。
 散歩場所についても同様で、有名な中央公園や北海公園や中南海公園な
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング