で、広い中庭をかこんで廻廊があり、廻廊に面して小房がずらりと並んでいる。二階から上のそれらの小房が遊女たちの室である。最上階の六階が最も高等なものとされ、ここにいるのは娼妓というよりも寧ろ芸妓であろう。客があれば鈴が鳴らされ、その階の二三十人の美女たちが、料亭に呼ばれて少数を除いた全部、客の前に立並んでその選択を待つ。選ばれた女は客を小房に案内して、お茶を供し談笑する。鈴が鳴ればまた駆け出していって、新たな客を他の房に案内する。客は茶をすすり水瓜の種をかじりながら、一時頃までも気長にぼんやりしている。この小房の一つで雑役をしている前記の女が、四十すぎた例外の美人で、水のしたたるようなその色っぽさは、そこの年若い芸妓のいずれを持ってきても足許にも及ばない。
 北京の前門外の暢園茶社には、大勢の客が茶を飲みに行く。正面に小さな舞台があって、若い女たちが楽器を鳴らし、歌をうたってくれる。合唱がすんだあと、客の名指しの女が独唱する。そしてここには、至極の年増美人の代りに、至極の銘茶がある。
      *
 青島から少し離れた李村というところは、未だに時々匪賊の出没する危険が去らないが、そこの新民会支部の一隅に、李村医療所というのがあって、三四人の日本人が農民の診療に当っている。若い人たちで、女性も一人いる。この人たちは金光教の信者で、感ずるところあって支那農民の中にとびこみ、殆んど独学で医療の知識を修め、乏しい薬剤で治療に従事している。その献身的努力には涙ぐましいものがある。
 北京の天理教支部でも、医療の方法で民衆に近づき、既に若干の支那人信者を獲得しているが、この李村医療所の人たちは、医療が主で、金光教布教は殆んどやってないらしく、その純真さにまた民衆の信望の濃いものもある。
 布教による民心獲得も重要なことであるが、医療は先ず何よりも当面の必要事である。農民の子供たちがにこにこして、李村医療所で治療を受けてる光景は、将来への大きな希望を与えてくれる。
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 済南には紅卍字会の母院がある。百二十万の金を投じて近年出来上った豪壮な堂宇で、種々の室内の什器も、或は簡素に或は豪華にその処を得ている。
 この紅卍字会は、現在三百万の会員を有すると云われているが、それが大抵富有な上層階級の人々ばかりである。会員からの寄付金などは如何程でも集め得るらしい。或は一種のフ
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