ーズ――表面だけの緊張感、それはそのまま作品に感応して、表面がこちこちに固まった、云わば象皮病にかかったような作品になってしまう。そんな象皮病の下では、生きた血が自由に流れることは出来ない。脈搏はとまってしまう……。
それはそうだろう、が、例えば……と私が云いだすと、例えば……と彼はすぐに応じてくれた。例えば……徳永直の作品にそんなのがあった。いくらもあった。ところが、先月か先々月かの「火は飛ぶ」という作品は、あれはいい。象皮病がなおった作品だ……。
こうなると、彼はイデオロギーの問題を全く無視してるんじゃないかと、私はふと思うのである。が彼に云わせると、イデオロギーなんてものは、創作に於ては、やはり一種のポーズに過ぎないのだ。ブールジョア既成作家が、特殊な見方、特殊な取扱方、特殊な表現、そんなものに囚われて力み返るのが一つのポーズなら、特殊なイデオロギーの角度からばかり眺めるのも、一つのポーズだ。凡て物事は、弁証法的にはっきり見なければいけない。弁証法的にはっきり見る時には、あらゆる「ゾルレン」は当然否定される。「ゾルレン」を否定すれば、イデオロギーは、創作上、一つのポーズではな
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