とか。而もそれは断じて、被搾取の苦渋な生活からの逃避ではない。
 クロポトキンが、セント・ピーター・ポールの要塞に監禁されてるうち、健康を害して病監に移された機会に、そこを脱走した。その時の話は、余りに有名である。この有名さは、話の愉快さに負うところが多い。脱走計画の万事は、外部の同士チャイコフスキー団によって立案された。「中は大丈夫だ。」というクロポトキンの相図に対して、赤い玩具の風船をあげて「外は大丈夫だ。」という相図をする、そういう約束だった。ところが、「その日は妙なことが起った。玩具の風船は、セント・ペテルスブルグのゴスティナイ・ドフォル近くに、いつもいくらでも売っていた。然るに其日の朝は少しもなかった。ただ一つの風船も見つからなかった。最後にたった一つ、子供の持ってるのを見つけたが、それは古くて飛びそうもなかった。で友人等は眼鏡屋へ駈けこんで、水素を造る道具を買ってその風船に水素をつめたが、やはり飛ばなかった。水素がまだ乾いていなかったのだ。時は迫った。で一人の婦人が、その傘に風船を結びつけて、自分の頭の上に高くかざして、病監の庭の高い塀に沿って道を行ったり来たりした。が私に
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