そんな鼠を食うよりも餓え死をした方がいいと言います。たった八日間に、僕の見ている眼の前で、一万九千匹の猫と、二万三千五百匹の鼠が、ばたばた死んでしまいました。可哀そうな奴等。思い出すと、どうもいけない。あの時の損は五十万弗からでしょうな。」
これが、或るカフェーでの、或る紳士の話である。まだまだ、同様なヨタが続く。こんなことをすまして書き立てる作者は、さぞ幸福だろう。梅干というものは、梅の木の何方に向いた何番目かの枝の何番目かの実を、何月何日の何時頃にとったものが、最も美味である、などと『南国太平記』のなかで坊さんに饒舌らしてる直木三十五も、さぞ得意だったろう。『馬車』のなかで占筮の講義を長々とやってる横光利一の気持とは、まるで質が違うようだ。
ヨタは真面目でないところにその面白みがある。がふざけては堕落する。そのかねあいがむずかしいのだ。所謂ナンセンス文学などのうちには、新聞紙に引用されるくらいの愉快なエピソードが、少しは現われてもよかろう。プロレタリア文学などにも、時には愉快な通風孔が必要だ。それは案外強く労働者や農民を惹きつける。飲食の時など、彼等は如何に愉快な話を歓迎するこ
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