は、それは一時的の外部的のものであった。文壇はまたすぐに以前の状態に立戻っている。
 日本の政治界が地震前と同じ道筋を辿って、帝都復興を帝都復旧に萎縮させてしまったことは、別に驚くにも当らない。政治界の内部に、全体を動かすだけの刺戟がなかったからである。野に声がなかったからである。
 地震後の文壇を動かすには、否地震後と何時とを問わず、所謂行きづまった文壇を動かすには、文壇の内部にそれだけの刺戟がなければいけない。文壇の内部に、野に叫ぶ声がなければいけない。
 野に声なき結果、文壇は萎靡しがちである。
 野に声なし――野は朝野の野であり、声は野に呼ばわる予言者の声のそれである。
 固より、野に声なしというのは比喩である。天国は近づけり悔い改めよと、ユダヤの野に叫ぶ予言者の声に籠ってる気魄、そういう気魄がないというのである。
 この野に呼ばわる声こそ、人の肺腑まで泌み通る。既成大家を奮起せしめて、一の固定心境に晏如たらしめず、更にその進展に志ざさせるものは、この声である。未成大家を沈思せしめて、その皮相な興奮を打挫き、新たな心境に眼覚めさせるものは、この声である。
 この声は何処から出て
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