術家にとっては、魂の据っているか否かが第一の問題である。
 斯くして、既成大家が一の心境に固着して先へ進もうとせず、未成大家が先へ進もうとばかりして心境の開拓を顧みない結果、文壇は行きづまったという嘆声が生じた――それは地震前のことである。
 地震の衝撃を受けて以来、文壇には新らしい光が射すだろうとか、少くとも何等かの変化が起るだろうとか、そう云ったことを説く者が可なりあったし、説かないまでも胸に思ってる者が多かった。然し私の考える所に依れば、そんなことは無さそうな気がする。外的の第二義第三義的変化は多少あろうとも、新らしい材料とか新たな主張とかは多少現われようとも、本質的な変化は聊かも見られないだろう。
 試みに正月に表われる作品を見れば分るだろう。見てから後でなければ断言出来ないけれども、恐らくは、地震前と大差ないに違いない。少くともそれらの作品の奥に映ってる作者の姿は、何等新たな心境を示してはいないだろう。
 文壇に或る動きを起すには、文壇の内部に或る刺戟を与えなければいけない。外部からの刺戟は忽ちにして通り過ぎる。
 地震の結果が如何に悲惨なものであったにせよ、文壇全体にとって
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