てしまいます。」
そう云ったきり、妻は石のように黙り込んでしまいました。僕はもうすっかり狼狽して、哀願や威嚇や誓いやを、自分で何を云ってるか分らないでくり返しました。僕の言葉が終ると、彼女は冷やかに云いました。
「見事に証《あかし》をお立てなさいましたわね。」
その時僕はかっとなったものです。突然調子を変えて云ってやりました。
「じゃあどうしようと云うんだ? こんなに云っても分らなけりゃ、勝手にするがいいさ。ただ一言云っておくが、変なことでもしたら、もう二度と取返しはつかないから、そう思ってるがいい。」
「私にも考えがあります。」
それだけの言葉を交わしてから、僕達はほんとに石のように黙り込んでしまったのです。僕はもう万事が終ったという気がしました。
然しその時、僕はまだ分別を失いはしませんでした。いろんなことを正しく……そうです、正しく考え廻したのです。妻は僕を愛していたのです。僕は結婚してからも何回か、つい友達に誘われて、待合なんかへ泊ってきたこともありますが、そんな時妻は、軽い嫉妬をしたきりで、大した抗議も持出しませんでした。然し此度は、彼女は僕の心を他の女に奪われたので
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