す。僕の肉体上の過失は許し得ても、僕の心が他へ奪われることを許し得ない彼女の気持に、僕は理解が持てました。その上僕と沢子とのことは、病後のヒステリックな彼女の精神へ、殆んど焼印のように刻み込まれていたのです。僕は可なり激しい自責の念を覚えました。長年僕の影になって苦労してきた彼女、まだ幼い二人の子供、輝かしい前途を持ち得る沢子、それから自分の地位や身分……そんな下らないことまで考えて、僕はもうじっとしておれなかったのです。前にお話したような妻へ対する不満なんかは、忘れてしまったのです。その時の僕の心は、恐らく最もヒューメンだったに違いありません。
 妻がなお家の中にじっとしてるのを見て、僕はその間に一切の片をつけたいと思いました。沢子とも別れて自分一人の生活を守ってゆこう! そう決心しました。そして沢子と別れるために僕はまた馬鹿な真似をしたのです。せずにはいられなかったのです。
 僕はその翌朝、沢子へ簡単な手紙を速達で出しました。――明後日午後一時に、東京駅でお待ちしてる。半日ゆっくり郊外でも歩きながらお話したい。けれど、あなたの気持によっては、来るとも来ないとも自由にしてほしい。……
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