んか、ほんとに羨ましいわ。何にもしないで猫のような生活だなんて! 私もう何もかも放り出したくなることがあってよ。田舎へ帰っちまおうかなんて考えることがあるのよ。何をするのにも、人からじっと見られたり、余計な邪推をされたりして……私そんな珍らしい人間でしょうか? どこか、誰からも離れてしまった所へ、自分一人きりの所へ、逃げて行ってしまいたいわ。井戸の中みたいな所へ……。深い井戸を見るとね、あの底へ飛び込んだら、自分一人きりになって、静かで、ほんとにいいだろうと思うことがあるわ。」
昌作はそれを、沢子の言葉としては可なり意外に感じた。彼女はいつも、何にも仕事がないという昌作を不思議がっていたではないか。彼は彼女の顔を見守った。
「そして、井戸の底に水がなかったらなおいいでしょうがね。」と俊彦は云った。でもその調子は別に皮肉でもなかった。
「あら、先生も随分よ。私水のある井戸のことなんか云ってやしませんわ。」
「じゃあ、初めから水のない井戸のことですか。」
「ええ。」
「でもね、逃げ出す方に捨鉢になるのは卑怯ですよ。戦う方に捨鉢にならなくちゃあ……。」
その言葉に、昌作は一寸心を惹かれて、じっと俊彦の眼を見やった。俊彦はちらりと見返してから云った。
「君は何にもすることがないんですって? いいですね。」
「佐伯さんは、」と沢子が云った、「何にもすることがなくて困るんですって。」
「することがなくて困るというのは、なおいいですね。僕も賛成しますね。」
昌作は先刻から、俊彦の言葉に妙に皮肉があることに気付いていた。けれどもそれは単に言葉の上だけのもので、彼自身の心持は少しも皮肉ではなく、却って率直で真面目であることをも、よく気付いていた。それで今、彼の言葉に対して苛立たしい不満を覚えた。つっかかってゆきたくなった。
「私は実際困ってるんです。」と昌作は云ってのけた。「自分には何だか生活がないような気がして、始終憂鬱な退屈な心持になってきます。晴々とした空が私にはないんです。」
「では何か仕事を見付けたらいいでしょう。」
「見付けたいんですが、それがなかなか……。」
「然し君は、一体何をするつもりですか。」
突然の、そして自分でもよく考えたことのない、きっぱりした問だったので、昌作は一寸面喰った。俊彦はその顔をじろじろ見ながら、自分自身でも考え考え云うかのように、ゆっく
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