り云い続けた。
「仕事を見付けるということも大切でしょうが、それよりも、何をするかという、その何かを見出すのが、更に大切ではないでしょうか。誰にでも、何でもやれるものではないでしょう。先ず何をやるか、それからきめておいて、云わば生活の方向をきめておいて、それから初めて仕事を探すべきでしょう。そうでないと、どんな仕事がやって来ても、取捨選択に迷うばかりで、手が出せやしませんからね。」
「然し私には何をやってよいか、それをきめる力が自分にないんです。」
「そりゃあ勿論誰にだって、自分が何をやるべきかは、なかなか分るものではないでしょうけれど、ただ漠然と生活の方向といったようなものは、誰にでもあるものですよ。」
「ですが……その方向を支持してくれる力が第一に……。」
「力なんて、」と突然沢子が言葉を拝んだ、「気の持ちようじゃありませんかしら?」
「気の持ちようか、または心の向け方か、そんなものかも知れませんね。」
がその時、不思議にも、深い沈黙が俄に落ちかかってきた。三人共云い合したように、ぴたりと口を噤んでしまった。何故だか誰にも分らなかった。各自に自分々々の思いに沈み込んで、そして妙に精神を緊張さしていた。昌作はそれをはっきり感じた。沢子は遠くを見つめるような眼付を、卓子の白い大理石の面に落していた。俊彦はしまった頬の筋肉をなお引緊めて、煖炉の火に見入っていた。昌作は眼を伏せて腕を組んだ。顔をそむけて心で互に見つめ合ってるがようだった。三人の状態がこのままでは困難であること――それでいて妙に落着き払ってること――一寸何かの動きがあれば平衡が破れそうなこと――そして今にも何か変な工合になりそうなこと、それがまざまざと感ぜられた。昌作は苦しくなってきた。動いてはいけないいけないと思いながら、我知らず立上って室の中を歩き出した。涙がこぼれ落ちそうな気がした。窓の所に歩み寄ると、硝子に小さな雨滴がたまっていて、街灯の光にきらきら輝いていた。雨は止んだらしく、澄みきって光ってる冷たい空気が、寂しい街路に一杯湛えていた。おかしなことには、いつまで待っても電車が通らなかった。昌作は次第に顔を窓に近寄せていった。息のために硝子がぼーっと曇ってきた。
「佐伯さん!」
呼ばれたので振返ると、沢子が下り加減の眉尻をなお下げて、眼をまん円くして、彼を招いていた。彼は戻っていった。
「あな
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