てるとすれば、一方は老衰しひねくれ悪臭を立ててる女性を象徴していたのです。……沢子はきっと口を結び眼を空に定めて端正と云えるほどの顔付で、じっと僕の横に坐っていました。飯田町駅で汽車から下りて、云い合わしたように左右へ別れる時、僕達は許し合った眼付をちらと交わしてから、まるで他人のようなお辞儀をし合ったものです。
 僕は真直に家へ帰りました。再び雨が落ちてきそうな陰鬱な空合でした。僕の心は捨鉢になっていました。玄関から大跨に飛び込んで、「昨夜は遅くなって三浦君の家へ泊ってきた、」と怒鳴るように妻へ云ったものです。妻は何とも答えませんでしたが、何かをその瞬間に直覚したらしくじっと僕を見つめました。その眼が一切の決算を求めてる、というように僕は感じました。
 そして、それが最後でした。
 翌日僕は士官学校で、沢子の手紙を手にしました――先生、もう致し方ございませんわ、私は先生を愛しております。とただその三行だけの、名前も宛名もない中身でした。僕はその文句を、幾度口の中でくり返したことでしょう。
 それから三日目に、妻は僕の不在中に出て行ったきり、二人の子供まで置きざりにして、もう帰って来ませんでした。
 僕は気がつかずにいましたが、妻はあの音楽会の晩以来、或はもっと前から、蛇のような執拗さで、僕のあらゆることを探索していたらしいのです。後で分ったのですが、僕がでたらめに口へ上せた三浦の家へも、果して僕がその晩泊ったかどうかを聞き合したのです。それからまた、僕は沢子からの手紙を本箱の抽出のいろんなノートの下にしまって、抽出の鍵は鴨居の上の額掛の後ろに隠しておいたものです。所が、彼女が出て行った翌日の晩、ふとその抽出をあけてみると、沢子からの手紙がみなずたずたに引裂いてあったのです。最後の三行の手紙も勿論でした。
 手紙を引裂いたというその仕打が、沈みかけていた僕の心を一時に激怒さしたのです。それから暫くたって後、彼女の代理としてやって来たその叔父とかに当る男が、いやに人を軽蔑した口調で、更に僕を怒らしたのです。そのうちに僕は、変に皮肉な落着いた気持になりました。そうなった時は、もう彼女と別れるの外はないと胸の底まで感じていました。それからのことはお話するにも及ばないでしょう。いろんな嫌な交渉があって、結局僕は正式に妻と別れてしまいました。思えば不運な女です、彼女には何の咎
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