もなかったのですから。けれど僕に云わすれば、彼女も何とか他に取るべき態度が――勿論初めのうちに、あったろうと思われます。
 妻とはもう別れるの外はないと徹底的に感じだすと共に、一方に僕は、全く反対のことを感じだしたのです。三歳と六歳との二人の女の児の面倒を、女中と共にみてやってるうちに、僕はその時になって初めて、僕のこれまでの生活は、僕一人の生活ではなかったこと、僕と妻と二人の生活だったこと、僕と妻と二人で築き上げてきた生活だったこと、それが巌のように厳として永久に存在すること、……などをひしと感じたのです。ああ、それをも少し早く感じていましたら!……然しもうどうにも出来ませんでした。その生活はぷつりと中断されたのです。そして僕は、僕達[#「僕達」に傍点]のそういう生活の上へ、僕と沢子との生活をつぎ合せることが、僕にとって如何なるものであるかを、そして子供達……そうです、子供達にとって如何なるものであるかを、ずしりと胸に感じたのです。僕は何も、再婚だとか継母だとか、そういうことを云ってるのではありません。それも勿論ありますが、それよりももっと重大なこと……何と云ったらいいでしょうか……この生活の接木ということ、一方に節子が生きているのに、そして僕達の――僕と節子とです――僕達[#「僕達」に傍点]の生活が生々しい截断面を示しているのに、それへ他のものをつぎ合せるということ、それが許さるべきかどうかを、僕は泣きながら魂のどん底まで感じたのです。
 僕はもう理屈を云いますまい。このことは実感しなければ分らないことです。……そう、僕は此処へ来る途中で、運命の動き――運命の共鳴、というようなことを云いましたね。平たく云えばあれです。節子と再び一緒になることにも、沢子と一緒になることにも、どちらにも僕は自分の運命の共鳴を感じなかったのです。僕は一人で子供達と共に暮してゆこうと決心しました。そして、母を失った子供達が、多少神経衰弱……もしくは神経過敏らしくなってるのを見て、また、その未来を考えてみて、僕はどんなに悲痛な気がしましたでしょう! 然し致し方もありません。
 僕は沢子に逢って、自分の心をじかに話しました。彼女は泣きました。そして僕の心を理解してくれたらしいのです。それから長い苦しみの後に、僕達は只今のような平静な友情の域へぬけ出したのです。沢子が他に恋を得て、その人と結
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