奥さんが待っていらしたんですね、と相手を促して座を立たしてしまった。それから一人きりになって、へんに軽蔑的な嘲笑的な笑いを、何に対してだか、口元に漂わせながら、また一本飲んで、そこを出て行った。大して酔ってもいないような様子だったが、足がふらついていた。ふらつくというよりも、膝頭に力がないらしかった。街路を車道の方におりて、真直に歩いてゆく。その一歩一歩が、へんに弾力性を失っていて、今にも膝ががくりと折れてそこに坐ってしまいそうだった。重病の前や後に人はそういう歩き方をすることがある……。
「でも、病気じゃあなかったんだ。」と正夫は云った。
「それほど酔ってたんでもないよ。」
「力がぬけていたんだろう。」
「だからおかしいのさ。ひどく勉強したとか、夜眠れなかったとか、そんなんなら分るけれど……そして病気でもなかったんだとすると……。」
正夫は黙っていた。
「僕もいろいろ忠告してやったが、よく分らなかったようだ。」
「君の忠告なんか駄目さ。」
「なぜだい。」
「お父さんは何かほしかったんだと思うよ。」
「何がさ。」
「それが、僕にもよく分らないけれど……。」
「どうせつまらないものだろ
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