ない。去年の秋には、村外れの爺さんの大きな藻蟹のウケに一匹はいりこんで、まんまと生捕られ、爺さんの自慢の毛皮となっている。河童なんかも、もう夢の世界に逃げこんでしまっている。それでも、夜の川辺には、何かしら奇怪な不気味なものがうろついている。だがみんな影だけだ。ほうほう鳥が、濁りのない落着いた声で鳴いている。ほう、ほう……ほう、ほう……。近いようでもあり、遠いようでもある。決して一つ処にじっとしていない。空には星がきらきら光っている。
目指す水口にやって行く。ウケを五分の四ほど水に沈め、他は水草や泥でせき切り、ウケの上にも水草や泥をのせておく。そして水を二三掬いあびせる。それですんだ。田にはたくさんの魚がのぼっていそうだ。魚ばかりではない。何かえたいの知れないものもいる。みんな、川に戻る時ウケにはいるんだ。大きな不安と期待……それが、家に帰るまで続き、夢の中にまで続く。
朝が楽しみだ。まだ太陽は出ない。白い朝、それからやがて赤い朝。道端の草にはしっとり露がおりている。大空の星がへんにぎらぎらしている。もう水田のものは川に戻ってしまったかしら? ウケのところまで、ゆっくり行くべきか早
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