ことがあります。
 酩酊者があくまでも意識をもち続けるということは、往々にして、世界全体をひっくり返す飛躍をも、意識的に乗り越すということに外なりません。――これを乗り越すことによって、酩酊時の空虚な時間に喪失した如何に多くのものが捕捉され回復されることでしょう。

 また、木村は云う――。
 人は日常如何に多くのことを捕捉したり喪失したりしていることでしょう。いろいろの顔、いろいろの名前、いろいろの事柄が、時あって思い出され、時あって忘れられます。ごく親しい身辺のものから、ごくはるかな夢幻的なものに至るまで、多種多様なものが、時あって、意識のなかに飛び込んでき、意識のなかから脱け出します。そしてそれは大抵、肉体の変動の瞬間に起ります。その瞬間が隙間なのです。例えば、立上ったり、寝転んだり、階段を下りたり、外に出たり、街路を曲ったり、自動車や電車に乗ったり、そういう瞬間の隙間に起ります。
 それ故、種々の捕捉や喪失を任意になし得るようにするには、長い曲りくねった廊下を造ることです。廊下の幅は広めに、一間ほどもあればよいでしょう。それが十間ばかり真直に続きます。そして曲折し、それからまた
前へ 次へ
全15ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング