とした感傷の谷間にひきずりこむのである。
ただ彼女に不満なのは、木村の心がはっきり捉え難いことだった。自分に対する木村の心のつながりを、どこに求めたらよいのであろうか。
彼女は立上って、しとやかに、カフェーの女給としてはいとも神妙に、涙ぐみながら、木村がいる筈の庭の方へ出て行ってみる……。
庭のなかの夕闇は、木村と秋子とを捉える筈だった。木村もその晩は隙だし、秋子もその晩は店を休んでいた。どこかへ……とそう暗示した言葉のあとで、取りつくしまもない沈黙がおちてきて、その沈黙のなかで突然、大きな手が秋子の髪を掴んだ。
それが、木村の手なのである。これは、秋子にとっては思いもかけなかったことであり、木村にとっても意外なことである。秋子はただ、甘ったるい涙のうちに、木村に媚びていたのである。木村はただ、それを受け容るればよかったのである。蝦蟇や亀と半日でもにらめっこしてる木村のことだから、それが当然だったのである。それを、どうしたことであろうか。
木村の掌の中で、秋子の髪の毛は、はじめ無数の生物のように抵抗し、やがて、ぞっとするような冷酷さになってしまう。木村はそれを握りしめて、彼
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