げてきたのだが、思わしい就職口もなくて困っているので、どこかにお世話願えまいかと、そういう話だったでしょう。それをあなたは、うっかり忘れてしまっていたのです。
「あのことでございますか。分りましたわ。今すこしお待ち下さいません。よい御返事をさしあげたいと、いろいろ聞き合せてるところでございますよ。出来るだけお力添え致しますわ。」
小川夫人が感謝し且つ依頼して、辞し去ったあと、あなたは眉根を寄せて、煙草を一本ふかしましたね。それから眉根を開いて、これはどこかへ世話してやらなければなるまいと考えましたね。それが当然のことではありませんか。
その考えのため、あなたは一層はればれとした心地で、女中を従えて、墓地へ向いましたでしょう。
よく晴れた日でしたね。早春の冷気も、なにか真綿にでもくるまれたように柔かでした。省線電車もさほど込んではいず、武蔵境の乗換駅でもあまり待たずにすみました。小さな女の児に、あなたは微笑みかけて、ちょっと言葉をかけましたね。
多磨墓地の入口の茶屋で一休みして、それから墓に詣りました。多磨墓地は謂わば公園作りで、少しも陰気ではなく、あちこちに松の木が亭々とそびえ
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