ました。
 彼はあっと口と眼とを打ち開いたまま、そこにぼんやりつっ立っていました。
 しばらくすると、後ろの方の大きな木の茂みの中から、恐ろしい声が響きました。
「お前は何者だ」
 彼はびっくりして振り向きましたが、何の姿も見えないで、大木の枝葉が黒々と茂ってるばかりでした。がまたその中から、恐ろしい声が尋ねました。
「お前は何者だ。何しにここへ来たのか」
 そこで彼は、声の主はきっと森の王で精女達の主人だろうと思って、丁寧に答えました。
「私はペルシャ第一の学者で、天地の間に何一つ知らないことはないのですが、ただ魔法だけを知らないものですから、今度はそれを学ぼうと思って、魔法を知ってる人を方々《ほうぼう》尋ね歩いて、ここまでやって来た者でございます」
「そうか」と恐ろしい声は答えました。「ここは人間のやって来る所ではない、また魔法使いの住んでる場所でもない。しかしお前の熱心に免じて、魔法めいた術を少し教えてやってもよい。その代わりお前に一つ尋ねたいことがある。お前は天地の間に何一つ知らないことはないと言うが、それでは、空の星の数は幾つであるか、そしてお前の頭の髪の毛は幾本であるか、それを答えてみよ」
 彼は困りました。いくら学者だからといって、空の星の数や自分の頭の毛の数は知りませんでした。彼が黙っていると、恐ろしい声はまた言いました。
「何一つ知らないことはないと言っておきながら、それくらいのことも知らないのだな。それでは三日の間《あいだ》待ってやるから、それまでに答えをせよ。もし三日の間に答えられなかったら、この池は底無しの池だから、この中に身を投げて死んでしまえ。はっきり答えられたら、お前の望み通り、自由自在に何にでも姿を変える術を教えてやる」
「承知しました」と彼は答えました。


     三

 それから彼は三日の間、空の星は幾つであるか、自分の頭の髪の毛は幾本であるか、一生懸命に考えました。しかしそんなことは、いくら考えても分かりようはありませんし、また一々数えることもできません。
 あたりは深い森であり、前には底無しの池があり、池の縁には白い花が咲いています。けれどただそれきりで、もう空が曇って、日の光も月の光もささず、蝶や小鳥も飛んで来ず、精女達も出て来ませんでした。彼は池のほとりに坐って、両手を組み歯をくいしばって、三日の間一生懸命に考えました
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