ない。旦那があってそして好きな人が半人か一人あるのは当世なんだから。それに彼女の、「いやいやいや、そんなのいやよ。」というのは時々出る言葉らしく、眼のぱっちりした、骨まで細そうな小柄な彼女が、上体をくねらして、上半を駄々っ児らしい早い調子で後半を甘ったるいゆっくりした調子で云うのを、私も二三度きいたことがある。といっても私にではなく、私の飲み相手の芸妓に、何か二人の間のつまらない話の時に云ったのである。彼女たちが親しい間柄だったので、それで私もK子にはよく逢うことがあった。
 その頃から殊に、B君の深酒が、時には自暴自棄かと思われるほどの深酒が初まったとのことである。そして簡単に、私の飲み相手の女の言葉をかりて云えば――「K子さんておかしなひとよ。Bさんがよく、最後に……って云うのが、あんまり度々なので、気になりだしたんですって。最後に、今晩はうんと飲もうとか、最後に、芝居へ行こうとか、最後に……浮気をしようとか、そういった調子なんでしょう。そのたんびに、例のいやいやいや……だったんだろうと思うわ。それが、その時はそれですんだけれど、Bさんが急に亡くなってみると、あの最後に[#「最後に
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