」に傍点]が気になりだしたんですって。あの時は、これがお別れだというくらいの、ただの嫌味で、また初まったという風に軽くきき流していたのが、後になってみると、生涯のほんとの最後に……というんじゃなかったかしらって、涙ぐんでるのよ。ああした仲だったんだもの、どっちだったかくらい、初めから分りそうじゃありませんか。今になって泣くなんて、おかしいでしょう。そうじゃありません?」
 K子はさんざんぐれだしたが、三ヶ月ばかりして、仙台にいってしまった。まだそこで芸妓に出てるという話である。
 それはそれとして、B君の面白い言葉がある。
「田舎の芸者はあぶないですよ。すぐにむきになってきますからね。そこにいくと、東京の芸者は安全なもので、決して真剣になんかなりませんね。何かこう、愛情以上の大きな伝統といったようなものがあって、男によりも、その方によけい頼れるんでしょうね。」
 ここで、文学者の頭の中に、おかしな連想がわくのである。「狭き門」のなかのアリサは、清浄な結合という宗教的な伝統によりかかって、容易にジェロームの腕に身を投じなかった。B君の芸妓観がもし正しいとすれば、例えばK子は、混濁そのものを無垢にする特殊な伝統によりかかって、容易にB君の腕の中に飛びこんでいかなかった、のかも知れない。少くともそういう風に考えなければ、小説になりにくいのである。
 B君はまた、或る時云った。
「どうにもならないように思われることは、案外どうにかなるもので、どうにでもなると思われることが、実はどうにもならないんです。」
 酔ったあげく、それをくどくくどく説きたてたのであるが、真意が奈辺にあったかは私は知らない。
 B君の死は、恐らく自殺ではなかったろう。万一自殺であったとしても、いろいろな原因があったのだろう。けれど、K子と彼との関係に於て、何かしら、B君にはK子が、必要ではなかったが必要以上のものであり、K子にはB君が、必要ではなかったが必要以上のものであったろう、と思われてならないのである。それがB君の自殺の何分の一かの原因でもなかったのなら、その欲望が情熱にまで高まらず、その情熱が信念にまで高まらなかったためなのである。
 こういう事柄を、これを一般に云って、私が小説に書かない所以は、右のことがはっきりしないからに外ならない。小説というものは、必要事にのみ止るリアリズムでは成立し難い
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