。欲望や情熱のリアリズムまで高まらなければ、少くとも私には書きづらい。B君の死が自殺であって、そしてその原因がK子とのことにあるとすれば、直ちに一篇の作品が出来そうである。それで作品の筋骨は出来上るのであって、他の特殊性、即ち雰囲気や環境や性格などは、努力によって如何ともなるだろう。
スタヴローギンにとっては、自殺するに当って、一本の紐は必要なものであり、一片の石鹸は欲しいものであったろう。そしてどちらがより多く重要だったかと云えば、紐よりも石鹸だったろう。創作家にとっては、紐の発見は容易であるが、それはその辺にいくらも転っているが、石鹸の発見は容易でなく、それはそこいらにやたらにあるものではない。
B君のことを茲にこんな風に述べたのは、彼を辱めることになるのであろうか。私はそうでないことを希望する。こういう考え方をすることによって、彼の真実に探り入る糸口がつかめるからであり、また吾々自身の真実にも探り入る糸口がつかめるからである。そしてなお云えば、文学は必要なものに奉仕するの低劣さをやめて、必要以上のものに奉仕しなければならないし、吾々は必要なものにも多く事欠く現代に於てさえ、必要なものを蔑視して、あらゆる欲望を燃え立たせるがよいと、そう信ずるのである。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
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