る事柄を他人にあまり話したがらないのは、文学者や哲学者や美術家や音楽家に最も多いようだが、何故だろうか。平素精神的に余りに苦労してるからだろうか。
B君の死を自殺だったかも知れないなどと考える根拠は、実は殆んどない。こじつければあるにはあるが、それは文学的なものにすぎないように思われる。
B君は当時、家運が傾いていた。がこの点については私はよく知らない。但し破産とか或は閉店とか、そんな状態には立至っていなかったことは、其後店もなお立派に立っていることで明かである。
B君と芸妓K子とのことが、私の知ってる主なものだ。数年に亘る関係だったらしい。ところが、K子に旦那が出来かかって、その世話になるとかならないとかいう話だった。それでみると、K子はB君一人を守ったわけではないらしい。またB君も、ほかの土地ではちょいちょい浮気をしてたことを私は知っている。そしてK子の旦那云々の話を、匂わせられるか感ずるかした時、B君は微笑んで云った。
「旦那をもつのもよかろう。そしたら僕は遠慮するよ。」
「いやいやいや、そんなのいやよ。」とK子は云ったそうである。
それはまあ、大したことではないかも知れない。旦那があってそして好きな人が半人か一人あるのは当世なんだから。それに彼女の、「いやいやいや、そんなのいやよ。」というのは時々出る言葉らしく、眼のぱっちりした、骨まで細そうな小柄な彼女が、上体をくねらして、上半を駄々っ児らしい早い調子で後半を甘ったるいゆっくりした調子で云うのを、私も二三度きいたことがある。といっても私にではなく、私の飲み相手の芸妓に、何か二人の間のつまらない話の時に云ったのである。彼女たちが親しい間柄だったので、それで私もK子にはよく逢うことがあった。
その頃から殊に、B君の深酒が、時には自暴自棄かと思われるほどの深酒が初まったとのことである。そして簡単に、私の飲み相手の女の言葉をかりて云えば――「K子さんておかしなひとよ。Bさんがよく、最後に……って云うのが、あんまり度々なので、気になりだしたんですって。最後に、今晩はうんと飲もうとか、最後に、芝居へ行こうとか、最後に……浮気をしようとか、そういった調子なんでしょう。そのたんびに、例のいやいやいや……だったんだろうと思うわ。それが、その時はそれですんだけれど、Bさんが急に亡くなってみると、あの最後に[#「最後に
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