しゃい。」
大五郎は椅子から立上った。
「こちらがいいでしょう。」
村井に導かれるまま、大五郎は畳の上の隅の餉台に就いた。ここもまた、呑み台のまわりの土間に並べた椅子席と、右手と入口のわきとに畳敷きの坐席がある。大五郎は馬革の靴を大事に上り框の下にそろえた。壁には、その半分ほど、ばかに大きな太平洋中心の地図が、鋲でとめてあった。
春枝が、大五郎の銚子や小皿物を運んできた。村井はちょっと奥へはいって、暫くしてまた出てきた。
「今日は、私がお返しをしなければならない。といって、何もありませんが、一杯飲んで下さい。」
へんに低く、囁くような調子だった。
大五郎もふだんより低い声でいった。
「それはどうも。だが、なぜですか。」
「一昨日の晩か、春枝に十円おいてゆきなすったでしょう。すぐに追っかけたが、さっと行ってしまいなすったそうで、彼女は困っていました。まあ、そのお返しというわけですがね……。」
笑顔だが、底意ありげな言葉だった。大五郎は怪訝な眼付をした。
「このへんでは、ああいうことははやりませんよ。」
「ほう、はやらない……変ったもんですな。」
「あなたの方が変ったのでしょう
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