残りを投げやっても、食べようとしない。足をふみ鳴らして立上らせようとしても、きょとんとしている。そして酔客から酒をぶっかけられると、ぶるっと身体をふって雫をきり、のっそりと外へ出て行くのだった。それが、老犬や病犬ではなく、大きな逞ましい若犬なのである。
何のために店へはいってくるのか、誰にも分らなかった。物も食べず、何とされても怒りもせず、のっそり出て行くのが、誰にも不思議だった。それから寒気がきて扉を閉めきるようになると、全く姿を見せず、往来にも見られなくなってしまった。
その犬のことを、大五郎はまざまざと眼前に思い浮べた。そしてとぎれとぎれの言葉を呟いた。それは単なる言葉や想念ではなく、はっきりした犬の形態として酔眼に映じたものだ。
……あいつは場違いだ……場違いだから、人に勝手な真似をさした……場違いだから、怒れなかった……怒る気もない……こいつは、ちとおかしい……場違いとは、在るべきところに居ないということか……そんなら、なぜはいってくるんだ……何かがある……場違いにも何かがある……場違い、場違い……だが、しっかりした足つきで、のっそり出て行きやがる……強い足だ、強い歯だ
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