したの。お酒とお通し、……八十銭、貰っておしまいなさい。」
大五郎は彼女の方を向いて、まだじっと立っていた。彼女は女中の方にいった。
「八十銭きりだよ。どうしたの。こまかいのがなかったら、いくらでも、おつりをあげますよ。」
大五郎はズボンの隠しをさぐった。そしてゆっくりと八十銭を探しだし、呑み台の上に静かに置き、毛糸の手袋を掴んで、表へ出た。その時すぐ、もう燗がつきすぎてる銚子を、背広の男へ女中が差出したのを、大五郎は見返りもしなかった。たといそれを見つけたとしても、彼はやはり黙って出て行ったであろう。
何か深い思いに捉われていたのである。その深い思いの底から、酔った頭に、大きな犬の姿が、如何にも自然らしく、浮んできた。
それは、彼の奉天の店へ、時々現われた犬である。恰好はセパードに似て、大きさや毛並は土佐犬に似た、ひどい雑種だ。往来で、何かに瞳をすえて、歯をむきだしてる姿には、ひどく猛々しいものがあった。そいつが、どういうものか、店の中へ時々はいりこんできた。はいって来ると、鳴きもせず、歯をむきだしもせず、へんに面喰ったような愚鈍な様子になって、隅っこに屈みこんでいる。料理の
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