きた。村井が春枝になにか耳打ちすると、やがて、サントリーのウイスキー瓶まで持出された。
 大五郎は顔の厚い皮膚をほころばした。そして満洲のことを論じだし、日本にとって満洲が如何に重要な地位を占むるかを説きたて、而も日本人一般が、南方にばかり心を向けて、満洲のことを忘れるようなのを、慨歎し初めたのである。
「分りました。」
 ぷつりと村井は話の腰を折った。
「だが、あなたは一つ考え落してることがありますよ。満洲は現在、謂わば銃後の土地でしょう。われわれは皆、前線の戦地のことを考えてるのです。満洲がもし前線となったら、その時には、お望み通り、皆が皆、満洲のことを考えるようになりますよ。」
「それがいけないんだ。ふだんから考えていなければ、いざという時には間に合いません。」
「然しとにかく現在は銃後ですよ。銃後はみな一心同体、東京も札幌も鹿児島も同じだし、日本も満洲も同じですからね。その一心同体が、この大戦争を遂行しているのではありませんか。」
 大五郎には、それがはっきりしなかった。腑におちない顔付で、ウイスキーのグラスをあけた。
「然しですな、満洲は新興の国ですよ。そのことを話しかけても
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