なりと出て行って下さい。」
今井はつっ立ったまま、握りしめた両の手をかすかに震わしていたが、澄子の驚き恐れた兎のような眼付を見ると、つめた息をほーっと吐くと共に気勢を落して、其処にがくりと膝を折って坐った。その余勢かと思われるほどすぐに、畳へ両手をつき頭を下げた。
「私が悪うございました、許して下さい。」
余りに急な意外なことなので、辰代も澄子もぼんやりした所へ、今井はまた繰返した。
「許して下さい。謝りますから、許して下さい。」
真面目だとも不真面目だとも分らない気分に支配された、動きの取れない沈黙が落ちてきた。そこへ、素知らぬ顔で縁側に佇んでいた中村が、のっそりはいって来て火鉢の横手に坐った。
「今井さんも謝ると云うんだから、もういいじゃないですか。」と彼は辰代に云った。
それが却って、辰代にとっては助けだった。
「謝ってそれで済むことではございません。」と彼女は云い出した。「あんまり人を踏みつけにしています。私は何も、足駄一つくらいどうのこうのと申すのではありません。御自分の胸にお聞きなすったら、大抵分りそうなものです。出ていって頂きましょう。私共ではもうきっぱりとお断りします。」
そう云い捨てて彼女は、荒々しく奥の室にはいっていった。がすぐに、襖の影から呼びかけた。
「澄ちゃん、あなたもこっちへいらっしゃい。」
澄子は暫くためらった後に、中村から眼で相図をされて、漸く立っていった。見ると、辰代は押入の中に首をつっ込んで、手当り次第に品物をかき廻していた。
「お母さん、何をしてるの?」と澄子は静に尋ねてみた。
「何でもようござんす。あなたは学校の勉強でもなさい、遊んでばかりいないで!」
澄子は顔をふくらしながら、机の常に坐って、何を考えるともなく、ぼんやり考えに沈んだ。
玄関に残っていた中村と今井とは、暫くは口も利かなかったが、ややあって、今井は火鉢の上に伏せていた頻を、徐々にもたげて、度の方を向いてる中村の横顔が、眼にはいる所までくると、ふいに口を開いた。
「私が悪かったんでしょうか。」
「え?」と中村は見返った。
「私の方がそんなに悪いんでしょうか。」
「悪いと思ってあなたは謝ったのではないのですか。」
「悪い……というよりも、済まないと思ったんです。」
「どっちにしたって、結局同じことじゃないですか。」
「いえ違います。……じゃああなたは
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