ので、食べても少しも滋養にはなりません。その上可なり不消化です。麩よりも、御飯や鰹節をやった方がいいんです。」
「だって、御飯をやれば、眼の玉が飛び出すというじゃありませんか。」
「そんなことはありません。やりすぎて、消化が悪くなって、痩せるから飛び出すんです。」
そして毎日夕方、彼は水を半ば取代えてやった。大きなバケツに、水を半分ばかり汲んで、それを何度も運んだ。一杯汲んで運んだら早く済むのに、と澄子が云うと、重くって仕方がないと答えた。澄子は笑い出した。
「私水一杯ぐらい平気よ。」
そして彼女は、バケツに水をなみなみと汲んで、歯をくいしばりながら平気を装って、とっとと運んでいった。
水ばかりではなく、少し目方のある物に対すると、今井はいつも重いというのを口癖のようにした。それからまた、何をしてもすぐ疲れたと云った。
「今井さんの弱虫!」と澄子は笑った。
「そんなことを云うものではありません。」と辰代はたしなめた。「屹度どこか身体がお悪いんですよ。中村さんに聞いてみましょうか。なおるものなら早くなおしてあげた方がようござんすから。」
「いくら中村さんだって、診察してみなければ分りゃしないわ。そして今井さんは、医者にみて貰うのが、あの通り大嫌いでしょう。とても駄目よ。」
それでも辰代は気にかかって、或る時中村に相談してみた。中村は注意深く辰代の言葉を聞いていたが、ふいに笑い出した。
「いや何でもありませんよ。」と彼は云った。そして澄子の方を向いた。「澄ちゃん、用心しなけりゃいけないよ。」
「どうして?」
中村はなお薄ら笑いをしながら、それきり何とも云わなかった。
その意味が、辰代と澄子とには解せなかった。そして辰代はそれを、やはり何か病気の暗示だという風に考えた。一人気を揉みながら、今井の様子をそれとなく窺ってみると、前よりも外出することが更に少なくなったり、室の中に寝転んでいることが多かったり、庭の隅に萠え出てる草の芽に見入っていたり、雨脚を眺めながら涙ぐんでいたり、月の晩には遅くまで窓によりかかっていたり、始終黙って考え込んでいたり、大声に笑うことがなかったりして、何もかもみな病気を想像させるようなことばかりだった。そして彼女は、或る晩地震のことから、本当に彼を病気だときめてしまった。
八時頃だった。中村は病院からまだ帰って来ていなかった。辰代と澄
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