のような解釈を考えたその謹厳な君子こそ、甚だ淫蕩な気質だと思われるが、如何なものであろうか。

      D

 これは笑話だが、ごく常識的に云って、痛さと、痒さと、擽ったさと、どれに人は最も我慢しやすいであろうか。
 答えは大抵きまっている。痛さが最も我慢しやすいというのである。痛さというものは、何かしら堅固で明確で、強い抵抗力を持っているので、こちらもそれにぶつかって、積極的に抵抗することが出来るし、緊張の極、他のものに転化する可能性さえある。
 之に反して、痒さや擽ったさは、何かしら不確実でぬらくらしているので、積極的に抵抗し難く、随って我慢し難いのである。感情的にも、痒さは卑俗であり、擽ったさは卑猥である。
 そこで、次に、痒さと擽ったさとどちらが我慢しやすいかとなると、答えはさまざまである。それはもはや、情操の問題、好尚の問題である。試みに想像してみれば、痒さを我慢している人の相貌には、唾棄すべきものがあり、擽ったさを我慢してる人の相貌には、擯斥すべきものがある。
 肉体的に、まずそうしておこう。ところで、精神状態も生理の一部であってみれば、ここに、痛さを我慢してる精神や、
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