考えられなければならない。
万物は日々に新たなりということは、発展或は衰退の意味に於て、そして絶対新の理論的拒否に於て、理解されなければならない。然しながらまた更に、新たなものをはばむ旧の存在を充分に考慮することに於ても、理解される必要がある。斯かる理解の上で、万物は日々に新たである。然しその悠長さに任せてはおけない時代に吾々はある。東洋に一種の文芸復興というものが要望されるとしたならば、それは東洋が持つ神性なるものへ一躍復帰することによって、夥しく累積してる旧なるものを乗り越すことから発足し、更にこの発足を世界的規模にまで高めなければならない。
これがどういうことを具体的に意味するかは、茲には云うまい。さし当って「永遠の人」のキリスト像によって得た新旧のイメージを凝視して、それを吾々自身のものともしたいのである。
N
何かの機縁で――それがどういうものだったか今は忘れたほどのごく些細な機縁で――私は亀を飼うようになった。庭の隅に低い囲いをし、小池をあしらった、二坪ほどの地面で、固より大きな海亀などを飼えようわけはなく、ごく普通の亀で、今では、いし亀とくさ亀とが十
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