考えられなければならない。
 万物は日々に新たなりということは、発展或は衰退の意味に於て、そして絶対新の理論的拒否に於て、理解されなければならない。然しながらまた更に、新たなものをはばむ旧の存在を充分に考慮することに於ても、理解される必要がある。斯かる理解の上で、万物は日々に新たである。然しその悠長さに任せてはおけない時代に吾々はある。東洋に一種の文芸復興というものが要望されるとしたならば、それは東洋が持つ神性なるものへ一躍復帰することによって、夥しく累積してる旧なるものを乗り越すことから発足し、更にこの発足を世界的規模にまで高めなければならない。
 これがどういうことを具体的に意味するかは、茲には云うまい。さし当って「永遠の人」のキリスト像によって得た新旧のイメージを凝視して、それを吾々自身のものともしたいのである。

      N

 何かの機縁で――それがどういうものだったか今は忘れたほどのごく些細な機縁で――私は亀を飼うようになった。庭の隅に低い囲いをし、小池をあしらった、二坪ほどの地面で、固より大きな海亀などを飼えようわけはなく、ごく普通の亀で、今では、いし亀とくさ亀とが十
前へ 次へ
全40ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング